オンライン研究会のご報告(2020.6.6)

日時:6月6日(土)14時~16時

テーマ:健康寿命の落とし穴

前回に引き続き、オンラインでの開催でしたが、今回は柴田先生もご一緒してくださいました…!!

<参加者のご感想>

遠田 恵子さん

柴田先生のお話は、いつも私に「反省」を促し、「気づき」をもたらしてくださいます。
反省でいえば、「比較できるデータかどうかの検証が必要」というご指摘。自分の論や主張を正当化するために、都合のいいデータをもってきてはいないか。本来比較できないものを強引に並べ立て、受け手に誤解を与えてはいないか。ミスリードしてはいないか。放送の現場に身を置くものとしては、背筋が伸びる思いがしました。
そして、たとえ寝たきりであっても健康度自己評価が高い人は長生きで幸福感も増すという興味深いお話。何をもって「健康」といい、「幸せ」というのか。深く深く考えさせられます。
この春卒寿を迎えた故郷の母が、自身の健康や幸福についてどんな思いを持っているの か、一度じっくり聞いてみたいと思いました。さん

森本 真知子さん

柴田先生、渡辺先生本日はありがとうございました。調査で本当の実体を表すことができているかどうかを読み解く力の大切さを改めて学びました。これからもご指導いただきたい、柴田先生のお話を伺いたいと切に願うところです。
さて、ウイズ コロナの時代に高齢者が社会貢献を含め、社会活動への参加に変化があるのか、健康寿命との関係はどうなのかを見つめていきたいと思います。また、殿原さんもお話しされたように、「繋がりたい」という気持ちもお互いに強くなったのかと思います。私は今まで話したこともない住民とあいさつ、立ち話、物々交換等が増えました。今までよりも高齢者が地域で心豊かに生活できる時代の到来に期待したいです。
島影様、いつもありがとうございます。フィットネス頑張つてくださいね。


川柳。「おろしたて、服着る機会、オンライン」

<研究会レポート>

2020 6.6    第18回 健康寿命の落とし穴 (出席者数 17名)

レポーター 萩原真由美

 オンラインで交流するみんなの老年学研究会もこれで2回目。なかなか対面で会えない中、お互いの顔が見られるだけでも喜びであるうえ、柴田先生のお話を聞けるのは新鮮で、発見やワクワクも多く、オンライン・トライを続けてよかったの一言です!
今回のテーマは「健康寿命の落とし穴」。

 「健康寿命をどう測っているのか、知っていますか?」という柴田先生からの厳しいご質問に答えられなったところから、このテーマが始まりました。

 国民生活基礎調査の質問票(別紙PDF参照)にある「あなたは現在、健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか」という質問に、1(ADL)日常生活動作、2外出、3仕事・家事・学業、4スポーツを含む運動、5その他の1つでも影響を受けることがあれば、もうそれだけで健康寿命が失われているされる可能性があるらしい。これでは、近頃ひざが痛いからスポーツはできないというだけの人も該当することに気付き、高齢者の大半が該当してしまうのではないかと驚きました。

 厚生労働省のヘルス・ネットには、健康寿命とは「WHOが提唱した新しい指標で、平均寿命から寝たきりや認知症など介護状態の期間を差し引いた期間」と記されており、「国連の世界保健機関(WHO)は健康寿命という新しい寿命の指標を取り入れました。これまでの平均寿命はいわゆる「寝たきり」や「認知症」といった介護を要する期間を含むため、生涯の健康な時期とに大きな開きがあることが指摘されておりました」とも書かれています。

 つまり、ひざが痛くてもひざサポーターやリハビリ体操などをしながら、日常生活はしっかり自立してこなしている人も、「寝たきり」や「認知症」といった介護を要する期間の人と同じ扱いになるのでは? そんな疑惑と、老化現象が出てくれば、もう健康寿命はなくなってしまうか?という連鎖的???で、誰もが仰天気分に陥った時間がありました。

 しかし、2000年にWHOが健康寿命(health expectancy)という用語を創出した背景には、それ以前にすでにWHOが提唱していた、高齢者の健康は疾病の有無ではなく、「生活機能における自立」を指標とすべきであるという概念を牽引する経緯があった。長生きすれば体の不具合が生じたり、病気になったりしやすいわけですから、「生活機能」を障害しない病気は必ずしも不健康の指標にはならないという考え方であったことを聞き、厚生労働省の前述の表現と大きな乖離があることを痛感しました。

 老化だけで健康寿命を失うことはなく、エンカレッジやレジリエンスを重視する老年学から見れば、足腰に不具合があっても電動自転車があればどこへでも行け、少しヘルプしてもらえばZOOMでいろんなひとと交流もできるような、「道具を活用した自立であっても、周囲の支えに助けられた自立であっても、‘健康寿命’である」との提言に、改めて心打たれたのでした。

 実は厚生労働省も私たちが感じたような疑惑に対し、2018年12月に「健康寿命のあり方に関する有識者研究会」を設け、2019年3月の報告書で日常生活動作、外出、仕事、家事、学業、運動等に制限があるものの、要介護2以上の認定を受けるまでは「日常生活動作が自立している期間の平均(健康寿命の期間)」とする“補完的指標”を提案してはいます。しかし、介護保険データというまったく異なるデータを指標に組み込んでいる点には留意が必要であると報告書の冒頭で述べています。この補完的指標を用いれば、現在、男性約9年、女性約12年と言われた健康寿命と平均寿命との差が、平均約6年になるようです。これがまた、政府が健康寿命と平均寿命との差を3年縮める目標を立てていることと符合してしまうことに、小さな違和感を覚えてしまうのは、私だけでしょうか?

 さて、もう一つ、健康寿命のデータにはすごい落とし穴がありました。それが都道府県別健康寿命比較データです。

 都道府県別健康寿命といえば、年度ごとに「うちの県は健康寿命がよそより長い」、あるいは「短い」と、マスコミをにぎわせる話題のデータです。しかし、このデータはまず、都道府県別の回答率が公表されていません。

 しかも、目からウロコだったのは、柴田先生の次のご指摘。「行政からのアンケートというのは、住民の行政への信頼度によって回収率が異なるものである。行政への信頼が大きいところは、いろいろ行政に協力し、アンケートにも答えておけば、それがまた住民のためのサービスにつながるかもしれないと、一般的には回収率も高くなります。反対に、どうせ何を言っても、何にもしてくれないと住民が思っているところでは、回収率も低くなる」。

 この結果、とんでもない矛盾したアンケート集計が作られることになる危険があるのです。例えば、住民にどんな困りごとがあるかを聞くアンケートが行われたと仮定すると、行政への期待が高いほど、いろいろな困りごとを寄せてきて、行政に期待していないところほど、回収率も低いため、上がってくる困りごとも少なくなります。つまり、行政がちゃんとやっている県のほうが困りごとが多く、やっていないほうが少ない結果に。マスコミはただ「○○県が住民の困りごと数のトップ」と書いて話題にしますから、全国的評判は事実と反対に・・・。

 「健康上の問題で日常生活に影響があるか」という健康寿命に関するアンケートにも、一生懸命真面目に答えて回収率の高いほど、健康寿命を失い、どうせ真面目に答えても見返りがないからと回収率の低い県ほど、健康寿命が長く出るかもしれないのです!? こんな結果を並べて、都道府県別に比較しているのが現状だったのです。

 知らなかったことばかりの今回の老年学の学び。やっぱり時々、柴田先生のお話を聞かないといけないな~、つくづく思わされた研究会でした。