みんなの老年学研究会・公開講座「死の授業」開催報告
2021年6月6日(日)14:00~16:00
みんなの老年学研究会・発起人の萩原眞由美です。昨年春に開催するはずだった同講座をどこまで待ってもリアル会場開催は無理と見切りをつけ、オンライン開催に切り替え、ついに実現しました。内容も講師の前田先生に無理を申し上げて今年版にバージョンアップしていただき、コロナの蔓延でさらに切実になっている「死」にどう備えるのか。ただ恐れるのではなく、後悔しない死に方、送り方の提案をしながら、そのためにこそ、家族の物語を紡ぐ道のりとしての「人生会議(ACP)」の必要性を伝えよう。そんな打ち合わせから交わしていた共有の思いを、第1部で見事に前田先生がお話してくださいました。
また、第2部のパネルディスカッションでは、柴田先生や渡辺先生から、「老年学」や「死生学」から考える、「死」のとらえ方や「死」への備えのヒントと、これからの終末期医療には「ナラティブ・メディスン」や「ナラティブ・セラピー」が必要であるというお話がありました。そして在宅医療の現場で年間40人ほどの患者さんを看取っているという荒井先生からは、一人一人違う「幸せな死のものさし」についてのお話があり、お義父様の別居介護・死別・葬儀と体験した島影先生からは、高齢の認知症でも、病状が低下する終末期でも、「どうしたい?」とじっくり、ゆっくり聞けば、ご本人の意思で答えを出してくれた体験実話が。また最後の病状や意思決定レベルの変化、心情は誰にも想像がつかず、たとえ医師であってもわからないこと。でも「わからないですね」と、家族と一緒に悩んだり考えたりしてくれる先生がいいという経験知ならでのお話も。
もう少し時間があれば・・・、という思いにかられながらの閉会でしたが、最後まで大勢の方にご視聴いただき、誠にありがとうございました。また、ご協力いただきました先生方にも深くお礼申し上げます。
参加お申し込み215名、オンライン会場参加者136名 (残りの方々がこれからのアーカイブ配信ご視聴予定者と思われます)
★ご回答しきれなかった質問の回答は、近日中にみんなの老年学研究会公式サイトに掲載予定です。
みんなの老年学研究会は、これからもみなさまのお力をお借りしながら、活動を続けて参ります。今後ともよろしくお願い申し上げます。
「死の授業」へのご質問の回答
【回答】
大変難しいテーマですが、いろいろ精神的な問題を抱えた高齢者と接することが多い老年病の専門医として日頃から心していることを述べます。結論をいうと、相手の方に対して一方的な保護者の立場に立つのではなく、仲間として対等に付き合う気持ちが大切です。そもそも認知症になる前から、高齢になった人生の先輩には、このような尊厳の気持ちをもって接していなければ、人生会議で取り上げるような話題について、「どうした いですか?」「ハイですか、いいえですか」のような聞き方をしても、答えてもらえるものではありません。ご本人である当事者と人生会議ができるのは、日々、尊厳をもって接し、言葉を交わしている中から、ご本人の希望や選択をあらかじめ受け止めている人である、という仮説が考えられます。 この意味でも、日頃から以下のような前提で高齢者と接することで、認知症になる前や、たとえ認知症の疑いがあると思われる方でも、その方の意思を察しながらコミュニケーションできる関係を築いてください。
①その方の人生と現状に対する尊敬心を失わない。どのような精神知能の状態にある人も人生の先輩でありプライドを持っています。
②残存能力を大切にする。最近のことは忘れても、過去のことはよく覚えています。認知症であり ながら、声楽に勝っている方もいるし、将棋の有段者もいます。こちらの方が、その方の経験と 見識を学ぶ気持ちが大切です。
③サポートは、部分的にして、能力の回復を心がける。調理の能力は失われても、御飯をよそう 能力は残っている場合もあります。買い物をしてきてあげるよりも、一緒に買い物に行って、陰からサポートする方がベターです。
(桜美林大学名誉教授 柴田 博)
【回答】
半世紀くらい前から、アメリカを中心に生命倫理学という学問が広がってきました。この中に死の自己決定=尊厳死の考え方が含まれています。私が述べたように、これはハイデッガーの「存在と時間」に展開されている学理によっていると解釈されています。しかし、現象学の創始者フッサールの弟子でかつ弟分のレヴィナスはハイデッガーに反対し、「死との関わりは、他者との関係の中に何か少し見えてくるもの」と述べています。
私自身は、このレヴィナスの考え方に賛成 しています。 最近の“Death Cafe”“人生会議”“ACP”などの考え方はハイデッガー的であるよりもレヴィナス的であるように思います。医学の世界でも最近は narrative medicine の大切さが強調され、「語り」「語り合い」の時代に入ったと いえるでしょう。回数を重ねながら、質問者の言う「繰り返し」の語り合いで意思決定者を委ね、医療ケアの幅も、選択肢も広げていく時代になったと感じています。
(桜美林大学名誉教授 柴田 博)
【回答①】
浜松市の人生会議手帳はおすすめです。明るい内容から入ることができ、ケアのメリット・デメリットを踏まえて選択できるようになっているのが特徴的です。
https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/documents/88983/jinsei-kaigi-tetyou.pdf
(㈱ハレ/かなえるナース 代表取締役 前田和哉)
【回答②】
私が特別に、使っているものはありません。
書面に残すことは、身寄りのない方など、ACPに参加し意志決定の代理人となってくれる方が見つからない場合の備えとしては、意義が大きいと思います。しかし、個人的には、書面に残すことは、必ずしも重要ではないと思っています。もちろん、意味が無いとか、やらない方が良いということではなく、不明確なことを確認するのにも意味がありますし、我々支援する側は、たくさんのACPに関わりますから、一人一人をしっかり覚えておくというのは難しいところもありますので、要点の記録(自分たちの記録:将来本人に示す目的ではない)を残しておくことは重要だと思います。
ただ、“将来に、当時の意志を証明するために”という意味では、有効性に限界があることにも注意が必要だと思います。というのも、人の意志は、いろいろな要因(時間、病状、社会情勢等)によって、変化するからです。例えば、数年前の書面をもって、こうしましょうと言われても、自分だったら戸惑います。また、代理人の意志でさえも、数年前の書面に書かれた本人の意志(+代理人も同意?)と、方針を決めるときには変わっているかもしれません。その時に、改めて相談させてほしいです。もちろん、“方針を決定するときに、代理人(ACPの共有者:本人にとっての大切な人)が、本人の意志が不明確にならないように”書面に残すというのは意義があるでしょう。しかし、それはACPとして不十分(書面を見ないと分からないほど、不明確な結論だった?)と言えるかもしれません。記録は残しつつも、書面より、(代理人となる方をはじめ、参加者全員の)心に残るACPを目指したいです。
(生き生き診療所・ゆうき 院長 荒井 康之)
【回答①】
まずはこれまでのご苦労をお察しいたします。人生会議はスムーズな人間関係あってこそだと、実感しています。人生会議を中期的なゴールとして、ご家族様との関係を良くする道があるのか改めて、そこの解決に着手するのが近道かもしれません。
アドラー心理学を用いた親との向き合い方に触れている、こちらの書籍を一度ご覧いただいてみるのはいかがでしょうか?
「アドラー式 老いた親とのつきあい方」 https://amzn.to/3pELYFn
(㈱ハレ/かなえるナース 代表取締役 前田和哉)
【回答②】
難しいケースですね。でも、実際には少なくありません。関係性が悪い理由、当事者とご家族の距離感などによるので、ケースバイケースで、申し訳ありませんが、明確なお答えが出来ません。一概に言えるものではなく、ケースによって、最善を探ります。ただ、私は、そうした関係性も含めて、当事者の人生・価値観だと考えています。よほど無理にご家族を引き合わせる方が、ストレスになる可能性もあるため、現在のご本人の思い(会いたくない、頼りにしたくない)という気持ちも、尊重したいと思っています。
(生き生き診療所・ゆうき 院長 荒井 康之)
【回答①】
緩和ケア病棟に入ってからというのは、難しいですね。緩和ケア病棟に、発症後直ぐに入るという方は少なく、多くの場合は、それまでに一定の時間があると思われます。その間にACPを行なっておくというのが、まずは目指したいところです…。が、それも難しいというのが現実かもしれません。とはいえ、緩和ケア病棟では、目の前に思い悩む方がいらっしゃるので、過去を悔やんでも仕方なく、それを支えていかなければならいという苦悩も分かります。
私としては、思い悩む相手に、寄り添うということを大切にしたいと心がけています。ここでは、正解が一つではないところ(どこに重心を置くかで、正解が変わるもの、あるいはそもそも正解がないもの)を扱っています。だからこそ、難しいのだと思います。相手の苦悩を聞いたり、助言したり、寄り添う姿勢を続け、頼りになる存在でいることが、患者さん・ご家族への安心・癒しにつながるのだろうと思っています。ついつい、僕らは、“何かしてあげたい”と思いますが、心理的に不安定な状況にある相手に、こちらが相手のことを十分に理解できていないまま、その何かを行うと、それが余計なことになりえることにも注意しています。何かしてあげるということよりも、相手に寄り添って“存在していること”にも、意味を持てるような、日ごろからの関わり・ケアを目指したいと思っています。
(生き生き診療所・ゆうき 院長 荒井 康之)
【回答②】
緩和ケア病棟でも、そのような場面は数多く見られているのですね。日々のご苦労をお察しいたします。看取りの段階まで来て、できることは少ないと思いますが、家族の負担を軽減するという意味では、ヒントになりそうなことはあります。アメリカが主導してインフォームド・コンセントの時代になり、医療現場での意思決定は本人、家族に委ねられるようになりました。しかしフランスなど、現在も医師が主体となり、意思決定を進めている国があります。時代遅れかと思いきや、研究の結果によると、「他者に決めてもらったほうが、遺族の心理的な負担は軽減される」のだそうです。シーナ・アイエンガー著 「選択の科学」 にそれに触れる記載があります。https://amzn.to/3pGR8Ry
人生会議が十分に済んでおらず確認が難しい場合は医療従事者が選択を促してあげるような関わりが(一般的にはこうするよ、など)家族にとっても救いになるのかなと思っています。本題とはずれるかもしれませんが、参考になれば幸いです。
(㈱ハレ/かなえるナース 代表取締役 前田和哉)
参加者アンケート
Q3 参加のきっかけについて教えてください。
55.6%(青の部分)が、「医療従事者なので、気になるテーマだった」と回答。
30%(濃黄の部分)が、自分や家族のこれからを考えるうえで、気になるテーマだった」と回答。
7.8%(赤茶の部分)が、「介護従事者なので、気になるテーマだった」と回答。
以下、
- 気になるテーマ、自分のオンラインサロンの課題として。
- 友人が出てた
- 終活を主に取り組んでいるFPなので。
- 今、取り組んでいる研究テーマに近かったから。
- ボランティア関係で、必要な知識。
- 自分の研究テーマのため。
Q5 本講座に参加していただくにあたっての「ACP(人生会議)」への関心・実践状況について教えてください。
45.6%(赤茶の部分)が、「関心はあるが、実際に何かを書いたり話したりするなど実践したことがない」と回答。
33.3%(濃黄の部分)が、「実践したことがある」と回答。
13.3%(青の部分)が、「聞いたことはあるが、まだよく知らなかった」と回答。
以下、
- 人生会議は「実践」「書く」ものなのでしょうか?
- 業務の中で、家族に伝えています。
- まったく知りませんでした。母が認知症になりかかっていますが、ACPに耐えられるのか想像がつきません。
- ACPは、やったことはないが、親の件でそういう場にあった。
- 正式なものではありませんが、そういう場面の話が出た時に、考え思いを伝えています。
- 介護施設でも取組中だが、まだまだ検討していく必要があると思っています。
- 不勉強のため、初めて知りました。
公開講座「死の授業」パネリスト・関連サイト情報
老年学や、ご登壇いただいた先生方のご活動などをもっとお知りになりたい場合は、下記ホームページをご覧ください。
前田 和哉 先生
かなえるナース | 夢を叶えるプライベート看護サービス
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桜美林大学大学院 老年学学位プログラム
老年学学位プログラム
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柴田 博 先生
日本応用老年学会
https://www.sag-j.org
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荒井 康之 先生
生きいき診療所・ゆうき/医療法人アスムス
http://www.asmss.jp/iki-sin.html
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島影 真奈美 先生
これからの老いと暮らしをデザインする
一般社団法人マリーゴールド
引き継ぎノート部